脇岬の観音寺に行った時,観音堂境内の塀に今にも落ちそうな瓦がありました。
写真は丸瓦です。正式名称は軒平瓦。残存は瓦当部は下半分が欠損,丸瓦部は尻方向の半分が欠損した状況です。
何の変哲もない瓦ですが,私はかつて瓦を勉強していた時期がありましたのでちょっとだけ観察をしました。
この軒平瓦の瓦当は見ての通り三巴文で左巻き(反時計回り)。直径は12㎝前後(推定)。珠文(連珠)は10(推定)。周縁幅は計測はしていませんが2~3㎝。丸瓦部は半分は欠損のため接続の状況は不明であるが,一般的に玉縁の接続部と思われる(ほぼ間違いないです)。丸瓦部は尻側が欠損しているが,瓦止めの孔が穿たれていたと思われる。全体的に退色が目立つが瓦当中心が黒いことから,本来,前面に燻しが施されていたと思われる。笵型の剥がれをよくするため滑石の粉末(キラコ)をまぶした可能性が高い。
肝心な時期ですが,瓦の形状から18世紀後半から19世紀前半と考えられます。また,観音寺内に存在する石碑関係の紀年名をみると,「寛政」「天明」「文政」といった元号を見ることができます。さらに,観音寺には軒平瓦がありますが,中心飾りを基軸として唐草文(パルメット)が展開している瓦当がありました。もしかしたら,多少は古くなるかもしれませんが,確実なところで18世紀後半から19世紀前半とした方が良いかと考えます。
観音寺は時間を確保してから本格的に調査をしたいですね(特に瓦)。
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