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​『ながさき原爆記録全集』にみるながさき西南部の映像

 長崎ケーブルメディア(NCM)放送の『ながさき原爆記録全集』に登場する長崎西南部の映像を紹介します。終戦後にアメリカ軍によって撮影されたカラーフィルムで,原爆投下後の長崎市の現状が精細に記録されています。詳細は本編を視聴してください。個人的な感想ですが,1945(昭和20)年8月15日以降の長崎を知る上で『ながさき原爆記録全集』は大変勉強になりました。

準備中・・・

​在りし日の蔭ノ尾島(第七回放送より

「アメリカ海兵隊フィルム」からの映像をスチールにしました。現在この島は三菱造船香焼工場(もうすぐ大島造船に完全譲渡化)となっています。かつては集落も教会もあった島でした。右の写真には「香焼島」のキャプションが表示されていますが「蔭ノ尾島」の間違いです。左写真には写っていませんが左方向には「蔭ノ尾灯台」が存在します。灯台は追って掲載します。

​小菅修船場(第七回放送より

「アメリカ海兵隊フィルム」からの映像をスチールにしました。
通称「ソロバンドック」。長崎南部の人々にはそう呼ばれています。県道(現国道499号)を見ることができ,その延長線上に戸町隧道(昭和8年完成)が存在します。
県道のカーブしたところには曳上小屋を見ることができます。小屋は蒟蒻煉瓦で造られた貴重な建物です。天然の入江である小菅浦を開発しました。明治天皇や維新の三傑(木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通)を訪れたことがある由緒ある場所です。

​川南造船所(第六回放送より

「アメリカ海兵隊フィルム」からの映像をスチールにしました。
 1945年9月28日撮影の川南造船所になります。場所は長濱。現在は三菱長崎造船香焼工場となっています。写真の状況から察すると痛みが激しいように思われます。原爆の爆風の影響でしょうか。それとも空襲による機銃掃射や爆弾による影響でしょうか。
​ 背後は深堀方面になります。このころ深堀-香焼間は埋め立てられてはおらず,香焼島は船でのアクセスでした。

天門峰(第八回放送より

「アメリカ海兵隊フィルム」からの映像をスチールにしました。
 1945年9月23日撮影のフィルム。この日は長崎市の降伏調印の日。長崎湾から長崎港に入港する途中段階のフィルムをスチール化しました。このカットは天門峰。別名鰯見岳(いわせんだけ)またはそのシルエットから象山とも言われます。雰囲気的には白崎の沖からの撮影のような感じですね。しゃしん左には沈没船がみられます。空襲で沈んだ船でしょうか?

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