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執筆者の写真おちや

女神台場

 今日(2022年1月18日_晴)は時間があったので、確か,去年か一昨年に長崎市から報道された女神台場へ行ってみました。

 実は2006年11月に一度ココにきたことがあります。その当時は検疫所と宿舎も健在でした。今は解体され更地に・・・。宿舎の裏手から山の尾根に入り踏査した記憶があります。その時は興味もなくただただ「ふ~ん」という感じで「台場の関連遺跡かなぁ〜」程度て終わりました。なので今回は16年ぶりに真面目な踏査を実施しました。全体的に崩壊はしつつも施設としてのシルエットは残していました。

 結論から言いますと、長崎市が言う石蔵だと思われます。その根拠として,魚見台場の石蔵に良く似ているからですね。砂岩の加工状況や石扉の作りが良く似ていると思います。年代は19世紀初頭ではないでしょうか。

 女神台場は新台場を建設しましたがが、遺構はその時期に当てはまるでしょう。長崎市の見解と同じです。

 1652(承応2年)の当初の台場(二番石火矢台)は大砲の性質から海岸部に設置されたので、今回の遺構はやはりそれ以降の19世紀初頭の施設として問題はないです。

 かつての検疫所からの道は閉鎖されていますで,金鍔側からアタックしていけます。興味ある方は一度訪ねてみてはいかがですか?


施設(石蔵)は尾根に建設されています。
石垣は壊れており周辺に破片が散在しています。

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